山室のフェイクニュース

酩酊状態で書いてるので自分でもよく分かってません。

めちゃくちゃ覚書 ~機械の体とキリスト教~

山室です。

先日11歳の少年が学士号を取得したニュースを目にしました。

専門は物理学とのことで「機械化による不死の追及」が目標だそうです。
私はゴリゴリの文系で、物理学やら機械工学やらについての知見はないし11歳で学士ってめちゃくちゃすごいなと思ったのですが、このニュースを見て一番最初に思ったのが

「倫理のことでめちゃくちゃとやかく言われそうだな」

でした。

「目標に至るまでのロードマップはすでに描いている」とのことなのでそのあたりをどう躱すかももう考えてあるってことですよね。まじですごい。

ということで今回はこのニュースを見て思ったことや調べてみたいなと思ったことを率直に書いてみたいと思います。
ここに書いていることは正しいとは限らないし調べる前のことなので正しいことを書こうとも思っていないので、その道に詳しい人がいたら色々ご教授ください。

身体の完全性について 

少なくとも日本の一般人の感覚では「親から産んでもらった体を傷つけることは倫理的に許されない」という主張がかなり強いようなので、ピアス(特にボディーピアス)やタトゥーなどの体に傷をつけて行う装飾品には強い抵抗があると思います。

日本人の感覚としてこれらに抵抗があるのは身体の完全性の自損に対する責めというだけでなく、入れ墨(もんもん)≒反社会的勢力という図式が成り立つ社会的な背景を踏まえてのことだと思うので、自由を追求する権利だけで戦うのは無理があるよなというのが私の個人的な感想です。

タトゥーについての賛否は置いておくにしても、「機械の体」も多くの人が感覚的に倫理的な問題を感じるだろうと思います。
タトゥーやピアスは身体の完全性を損なう代わりに装飾という付加価値を得るために行われるのに対し、機械化は基本的には身体の機能はそのままに肉体を機械に置き換えるということを目的にしていると考えられるので、悪意ある単純化をする癖がある人には徒に身体の完全性を損なっているだけに見えてしまうと思います。

もちろん機械化によって自然な肉体には出来ない動きが出来るようになるとか、メンテナンスや修理によって半永久的に身体を利用可能になるといった付加価値があることが考えられますが、むしろこっちの方が倫理を重んじる人にとって抵抗を感じる理由になりそうな気がします。

例えば腕が伸びるとかロケットパンチが出来るとかいう機能は元来人間に備わっていない「不自然」な機能ですし、肉体が自然であることを求める人は上記のように「与えられたものを与えられたまま全うすること」を重視するので天寿に反して、しかも半永久に生き永らえるというのは許しがたいことであるはずです。

 宗教の問題

加えて私が気になったのは「身体の機械化を各宗教は許すのか?」ということです。

例えばキリスト教。 私はキリスト教徒ではないので詳細な教義は把握していないのですが、神さまが土から作ってくれた肉体をそう簡単に捨てていいのか?というのは純粋に疑問に思います。

知恵の実を食べた時点で創造主への裏切りはもう働いているからさらに罪を重ねても問題ない(信用はすでにゼロ)というような気はします。
ただ神を模して作ってもらった体を捨てるのは色々やばそうな気がやっぱりしてしまいます。

キリスト教では最後の審判で死んだ人も蘇って裁判を受けるという話なので火葬はせずに棺に入れて埋葬するということですが、その時も機械の体で出席していいんでしょうか?
天使の皆さんに「あいつフォーマルじゃなくね?」みたいな目を向けられそうな気がするのは私だけでしょうか。

「体の一部が生身じゃない」とかまで否定すると怪我をされた方の人権を侵害することになるので神さまもそこまで厳しいことは言わないと思いますが、「最低でもここは生身じゃないと認めない」みたいな過激な線引きを教会がすることになりそうな気がしますが、それこそバチバチに権利団体とか倫理と戦になりそうですよね。

機械の体になって肉体と魂が離れないとかになったら転生も解脱も出来なくなりそうな気もします。

そもそも宗教って限りある命をどう使うかみたいな考えが根本にあると思うので、不老不死の実現で起こる層や派閥が一定数いそうな気もします。
機械は老朽化するので不老ではないですが。

まとめ

他にも色々気になるところがあったような気もしますが、忘れたのでこれくらいにします。

なぜかみんな不老不死を目指しますが、不老不死ってある種の信仰みたいなもので実現しないから価値があるもののような気がします。
実現しようと努力することは医学的に大きな一歩になるとは思いますが、いつまでも人類の浪漫であって欲しいなとも思います。

 

「老いない」「死なない」なんてありえない事象なのにルールに沿って活用すれば言葉の上では実現できるの面白いですよね。